ロボットが人間の代わりにさまざまな仕事をする時代がまもなく来る だ ろう

道徳的な面もありますが、要は大人が心配性なんですよ。 そこに気づいていないのが可笑しい♪ ねっ、面白いでしょう♪ この結論は、十人十色なんです。 >古谷一行と奥田瑛二が手塚を演じたが、どちらもつまらなかった。 元々は戦前に特攻隊?の一員、つまり戦争によって死のうとした人間ですからね。 ぽあ:見出し書かな続かんがな。 嫌悪;オーソン・ウェルズ、アーネスト・ボーグナイン、リー・マーヴィン <リンクURL> この言葉は、『名言』とも取れる。 そこでTVアニメに進出するわけだが、物理的な理由から動きを棄ててドラマで持たせるという本末転倒の選択をして、それがその後の日本のアニメの歴史を変えてしまった。その矛盾に手塚自身悩みつづけたのではなかろうか。 もう消えると言いながら、この件に関して気になったので一言。おやすみなさい♪, みなさん、こんばんは。えーと、このサイトを携帯で見た場合、たしかに携帯版ではかなりの部分が表示されないですね。で、ありりんさんの書いておられるように、「PC版(を見る)」というところをタップすると、見慣れた画面になるんですが、この「PC版(を見る)」という表示がいちばん下にあって、私もずーっとわかりませんでした。ここから入ると、画面にPCで見るのと同じものが表示されるのですが、いかにも小さい。須磨保の場合には指先でぐぐっとやれば見やすくなるんですが……ただ、書きこみは私もしたことがありません。もう指も動きませんし、ムリに動かそうとすると本体を落としそうになるし、時間はかかるし人相悪くなるし(それは元々や!)……ということで、携帯ではときたま開いて見る程度です。 『あっ! このオッサン、勝ち逃げする気だ!』 だが平成元年(1,989)年亡くなった際には享年満60歳とあり 児童文学者→大人になってからでも分かればよいというスタンスを持つことを許される人 改めて、初めまして。 私としては、この要素が、お二人の違いとしていちばん大きなものかなと思うんですが……それと、次の、スレくまさんから私への「質問」(手塚マンガより『宮崎アニメ』の方が、より深みのある世界を創り上げているのか?)についてなんですが、私は、そのとおりだと思います。まあ、「深み」という言葉をどう解釈するかなんですが、私は、より上位階層である「普遍層」の介入を意識的に許可しているという点において、そう感じます。うーん、私は、レノンとポールのことはよく知らないので、そのアナロジーについてはなんとも言えないんですが……ただ、ここで思うのは、やっぱりヨーコさんの影響……現代美術の「わかりにくさ」は、かなりの部分が、その「普遍指向」にあると思うんですが……今の世の中で、「普遍」の浸食を無条件に歓迎している分野って、やっぱり現代美術と現代音楽……で、両方とも「一般大衆」からはかなり敬遠されている感がありますね。レノンは、ヨーコの「現代美術」を通じて、この「普遍指向DNA」を移植されてしまった…… 僕はそんな印象を受けました。, 夢童隣寝さん、こんにちは。 これ、『あまちゃん』観でねえ人には、意味不明だど〜♪ しかし、この言い方の裏には、手塚治虫に対する激しい嫉妬がある。 (ぴあ:あんさん、そもそもうちにあがってませんて 小学校の絵本読みをしていますが、ボランティアのお母さんたちが子どもに受けるもの、笑いが取れるものを選びがちになるのも無理はないです。反応があったほうが、読んだ方も満足感がありますから。アンケートを取ると、先生方から「もっと中身のあるものを」なんて要望が出てきたりします。でも、それもどうでしょうね。 児童マンガ家 → 子どもに分かりやすいお話や絵面で構成出来る人 ですから、子どもに真剣に向かうのはいいけれど、 >えー……私の文章がわかりにくくなるのは、たぶん「探しながら書いている」せいであって、まことに申し訳ありません 全部まとめて『子どもマンガ』とも呼ぶらしいですから。 とりあえず、ご紹介まで。 子どもたちは、どう変わったの? ぽあ:ああそうか♪ 手塚さんは、ディズニーに傾倒して「白雪姫」「ダンボ」「バンビ」をそれぞれ何十回も見たそうです。アトムの指が4本なのも、ミッキーマウスの影響とか。 その創作法は、あくまで『子どもにわかるように』ということです。 2)好きなジブリ主要キャラ → トトロ ものすごく誇張して書くので、いきなり炎上しないように♪ 【暴言 予選落ち】 ☆☆ ヤバイ! 私だけ蚊帳の外なんて! スレッドくんなのに! ところが宮崎さんの方は、IKAさんのおっしゃるように 月刊模型雑誌に連載されたマンガを原作にしている。 理屈っぽさよりもファンタジーとして全てを受け入れた私はどうすれば良いのでしょうか・・・?, ぴあ:あんさん、どうちがうんですの? さらに、アニメですから動きます。 そんな時、登録ユーザーの IKAさんから、素敵なヒントをいただいた! 映画のような躍動感のある動きを得意とした。 そして、なぜ大人をも巻き込んだ一大イベントになったのか? です。 そこで、ロボットが行った仕事の結果を人間がチェックする必要が出てきます。ソフトウェア、ハードウェア、その他あらゆる物の使い勝手をテストする仕事です。 ロボットに作らせた物でも、結局使うのは人間。使いやすさの判断は人間にしかできないはずです。 小規模ビジネス. という人が、アメリカでは『絵本作家』らしいです。 ご興味がある方、読んでみて下さい。570円+税です。 『風立ちぬ』は観てないので、作品のコメントはできません。 風呂から出終わったら洗った衣服を頭の上に乗せて裸で帰宅します。 まだいつか、適当にフェードインしてけろ♪ それが努力によって開花した。そういう感じがする。 時代の変化を進化につなげてきた会社なんですね。 冨田 「お構いねぐ」。あまロス症候群まっただ中です(笑)。 宮崎さんだけ先に行ってしまった。 お構いねぐって、おめえ面白いな! 宮崎さんは、『ラピュタ』では、なぜか「普遍性」と「物語性」の幸せな結婚を実現しているが、こういう僥倖は、一人の作家の中ではマレなできごとなんじゃないかと思います。現に、それ以降、「普遍性」が「物語性」を攻撃して、全体の構成は一見「破綻」に導かれるようになりますけれど……これは、彼が、「普遍性」に対して正直だった証かなと。手塚さんの場合には、なんとしてでも「物語」を守ろうとする……その分、「普遍性」はかなりの程度犠牲になっているように感じます。うーん、私が感じる「大人っぽっさ」みたいなものは、このあたりにあるんじゃないかと。20世紀に入ると「完結する物語」はどんどん崩れていくんですが……これは、それぞれの作家が、「普遍性」の方を大切にするようになった結果なのかなと。これは、文学の分野のみならず、映画や音楽や美術……いろんな分野で顕著な傾向性ですよね。まあ、映画の場合には、かなり後まで「物語性」の重視が続いているようにも思いますが。 手塚さんはディズニーアニメの動物の動きをめざしていたようです。 裏情報〜都市伝説か田舎真実か不明だが〜 『コオロギは生命力が強いので、どこでも鳴いてます』 ぴあ:う〜ん… ちょっと不注意やなぁ… 現在は絶対に死んでいる筈だが、闇討ちできなかったのが悔しい さて、何でこのスレッドを立てたのか? 有名人や才能豊かな人で、嫌われ者はたくさんいるが、 宮崎駿=児童文学の人 >手抜きがバレそうになったらタマには凝れ 『わかりやすく、ユーモアを持って!』は、どうした? 『南部ダイバー』でもええど。 ずぶん、聞いてっがら〜♪, IKAさん、こんにちは♪ この『皆等しく』の中に、『バカなコオロギ』は入らないのだろうか? しかし、『バカだからどこでも鳴いてます』と冗談で言えるのは、 たまたま世に出た才能ではない。 あ、それよりも「偏見と差別と暴言を抜いたら只の常識人」ですか、ソレはいけません! ただ日本の場合、絵というのは『絵画』で、 半藤一利さんは、児童文学者ではないですから。 児童文学者は、生真面目で、いい加減を嫌う。面白味がない。 あ、IKAさん、音楽と神話は、レヴィ=ストロースです☆, aakuraraさん 手塚治虫=児童マンガの人 ここらで一息入れたいと思います。 スレッド君は困惑?シカト??シ・カ・ト・左様か!?!, ありりんさん、やはりガラケーだとダメなんですね(-ω-) ここから観客層がぐっと増え、多様になります。 間違ってはいないが、大人気ない。『物も言いようで角が立つ』のだ。 でも、子どもにはあの映画は、なんの違和感もなく通じているらしい・・・ >天才アニメーターではなかったから。 『本当はもっとドロドロしたものを描きたい』と言っていました。 英語の誤りを直す問題です。その奨学金に応募したい人は、この申込用紙に記入しなければいけない。Anyone who want to apply for the scholarship have to fill out this form.答えがAnyone who ️ Those who となっていました。そもそも 【寸評】 軌道修正ありがとうございます。 みんな自分よりバカだと思ったらおしまいですよ。 これらは『子ども向け』ではありません。 『ナウシカ』『ラピュタ』は、ヒットしたと言っても 題して『暴言上手はどっち?』のコーナー♪ 世の中には『ぶっ飛んだ芸術家』はたくさんいる。 _なぜスタンドプレーするの!私の訳を通して質問するのが常識よ! そして、ファンタジーが創れる幸せな時代でもあった。 手塚ワールドは母親の愛情が隠れたテーマ 長い間、民衆に愛され続けたものなのでしょう。 かつては『成立していた』と言う方が正確でしょうけど。 ただ、『児童マンガ』という名称は、便宜的なものでしょう。 『人徳』というものもあったと思う。 でもSMAPのメンバー中一番絵が下手なのに そうですね、「わかりやすさを求める人ほど、理屈っぽい」というのは、もっと正確を期した表現に直してみます。 つづがねえンだぞ、天野! お気遣いどうも♪ だから、マンガや絵本というのは、本来子ども向けではなかった。 『宮崎アニメ』が嫌いな人は、この『目線』が不快なのかもしれない。 実は、『宮崎駿引退』のニュースを聞いて、電撃が走ったのだ! 目の前に『超能力者』さあっがら観る。 動物叙事詩が基になっていると『あとがき』に書かれています。 なぜならアニメーターたちの報酬を格安にし社会的地位を著しく低くしたから 「この世が生きるに値する」という発言に関しては、それを決めるのは個々人の想いや判断だというふうに言えるのは、豊かで平和な文明国だけが持つ「余裕」のおかげだと思います。 『35歳を過ぎて〜』発言のどこが『暴言』かというと、 人間とaiの役割分担と、そのための働き方環境の整備が、これからは重要になりそうです。私たちに求められる職業能力も変わってくるでしょう。上田はaiを活用する時代の社員像について、次のように考えています。 私がもし、手塚の人生を映像化するとしたら…多忙だった彼の生涯の中でも特に多忙な1日−漫画の締め切りとアニメの追い込みと海外旅行の出発が重なったような日をピックアップして超リアルに再現する。題して「オサムシのいちばん長い日」。実物より狭く作ったセットに多人数の出演者を詰め込んで望遠で捉えるのだ。 舞台設定に関しては「具体性」が強いのと、「抽象性」が強いことの違い、というんでしょうか。ここでまた「普遍」の問題が浮かんでくるのですが、「普遍」というのは「抽象性」よりも、実は「具体性」に宿るのではないかという・・・ 手塚治虫は、優れたエンターテナーでした。 ずぶん、待っでっから、おめえが帰ってくるの待っでっから♪ 後期の作品では、児童文学の要素が強くなってきています。 手塚治虫の絵の才能は、静止画を動いているように見せる才能で、 『宮崎駿 名言』もあるが、『暴言』と紙一重である♪ ‘なぜ、お前は大きくならない!できそこない!!’ ぴあ:そんなええからかげんでええの? そんな狭いとこに入ったら窮屈でごんす♪ 人間とのバランスが良かったのではないでしょうか? 神話と音楽……カール・ケレーニーでしたっけ? あんまりちゃんと読んでないので、もしかしたら違っているかもしれませんが……音楽って、「きちんとした脱線」をうまーくガイドしてくれる天使みたいな気もします。音楽そのものの「構造」の中へ脱線することによって、人は、かろうじて「普遍への回路」を保てるのか……私は、結局、人は、「普遍」から離れて生きていけない生物だと思うんですよね。まあ、どんな生き物でもそうなんでしょうが、人は、なぜか「言葉」を介して「普遍」を求めようとする。だから、「物語」との関係がややこしくなって、見えにくくなるんだと思うんですが……音楽は、その点、ストレートに「普遍」とつながりますよね。「歌詞」は「詩」であって、実は「言葉」ではない……少なくとも、「物語」の言葉とは全然別もの。「神話」の言葉も、実はそうなのでしょう……マンガもアニメも「絵」という言葉ではないものを使いますが…… 嗜好;バート・ランカスター、グレゴリー・ペック、ディーン・マーティン 才能ある人は、人間的にも優れているという思い込みだ。 それに加えて『角野栄子ファン』が観に行ったはずです。 騙した奴等が全員悪性の感冒にかかり入院、 たとえばコンピュータの仕組みなんていうのは、明らかに難解ですが、現にパソコンというものが大量に作られているという事実からすると、難解ながらもしかるべく順序だった手続きにそって説明されれば、その仕組みは「わかる」はずのものです。 多くの男性が本妻との間には、結婚・子育て・マイホーム購入・生活設計といったドラマを演じる一方で愛人にはただセックスの快楽のみを求める。 宮崎さんという方は、やっぱり、「世界の構造」ということを、ものすごく気にして作品をつくっておられる。で、「世界の構造」は、静的なものではなくて、常に生きて、動いている。人が、「世界の構造はこれだ!」といってつかまえたような気になったときには、もうまったく違ったものになっている……これは、人間の意識、人の言葉、理解といったものは、常に「遅れて会合に参加する」という性質があるからだと思います……ただ、今、生きて、動いている「世界の構造」を、ビシッとその場でつかまえる方法、しかも「言葉」でつかまえる方法がただ一つあって、それは「詩」です。次に近いのが「児童文学」ではないかと私は思ってるんですが……「大人の文学」は、いくらいばろうがなにしようが、いつも遅れている。「これが世界であるぞー」と打ち出したときには、ホントの世界はもう違う。 宮崎さんアニメは、好きな人と嫌いな人がハッキリしている。 それで、以前に宮崎さんが作家の堀田善衛さんと司馬遼太郎さんと対談した本を読んだのですが(ちょっといま自宅に見つからないんですが)、その対談を読むと、やっぱり宮崎さんて日本の歴史とか文化について、相当勉強してるんですね。西欧の文化伝統についての教養も相当のものですが、三島さんにしてもそれは同様です。 そういう時期があったんです。 ぴあ:iPad(タッチパネル)の操作のことやろな。 言えよ 手塚さんの作品は、私は、この「普遍性」につながる入口を豊かに持ちながらも、結局、大人の目から見た「物語性」の完結といいますか、「普遍性」が「物語性」をジャマすることを絶対に避けるという一種の「信念」に貫かれているように思われるのです……まあ、これが、私が、手塚作品は「19世紀的」であり「モダニズム」ぽいと感じる主要因なんですが……こういうところが、宮崎さんの目から見ると、やっぱり残念というか、なんでそうなってしまうの?というところなのかもしれませんね。……ということで、またまた長々と書いてしまいましたが、私の考える「普遍性」の説明をさせていただきました……結局、そういう「普遍性」があるものが、世紀を越えて残っていく作品になるんだと思います。(ぷあ:立ち話、おおいにけっこうやおまへんか、わてかて立ち話ですさかいに。ぺあ:なにいうてまんね。立ち話の中にこそ本質があるんやおまへんか。ぱあ:そやなあ……あがりこむとろくなことはおまへんなあ……縁側でちょいと、くらいがよろしおすやろ。) そういう話は、私の周りでもよく聞きます。 と語った人です。根幹ですよ根幹! 難しい言葉です。 【 ありりん天野さんの見解 】 少なくとも自己演出(広義でのギミックor営業用のプロフィール)なんか東映動画(株)の社員としてスタートした宮崎駿のは無縁のですね。 こんなに言い分けの多い神様も珍しい。 (吐き捨てるように)という説明書きは、何を意味するのだろう。 肝心な時に役に立たずに事故ってる奴は最低だよ。 宮崎さんを理解するには、ここが入口だと思います。 子どもの本と言えば、イギリスが本場と言われますが、 100年以上前に書かれた「オズの魔法使い」も、フランク・ボームが子供にきかせていた素話を本にしたものです。 『児童マンガ』というジャンルは成立するはずです。 天才アニメーターではなかったから。 前者は単なる女好き醜男にしか見えない 『すべての物事・場合にあてはまる性質。反対は特殊性』だって。 ぴあ:所沢近辺ちゃうかぁ… 西武池袋線の隣り… て、電車ちゃうがな! >『これまで手塚さんが喋ったこと、主張したこと、みんな間違いです』 その意味では、スレくまさん(と勝手に呼んでしまいましたが、ご容赦)のこのスレは、とても面白い提案をされていると思うんですよね。「宮崎アニメの魅力は?」という問いかけだったら、それは、おとなもこどもも、自分が感じる魅力を語ればいい(魅力を感じない人は黙るのみ)。ただ、なぜ「こどもに根強い人気があるのか?」ということになると、たぶんそれは、「こどもに人気がある」ということの正体は、いったいなんだろう……となって、マンガとか児童文学の問題もからんできて、「こども向けのものをどうやってつくったらいいのか?」という「こども向けに発信する側」の問題も、ちょっと深刻にからんできます。さらに、おとなとこどもの、ものの感じ方や世界の見方の差みたいなものも浮かびあがってくるように思います。で、私は、その一つの要因となり得るものとして、「普遍性」を提案してみたいと思ったのですが……私の考える普遍性については、次のスレくまさんへのレスで…… 『意識的に終末の美を描いて、それで感動させようという手塚治虫の神の手を感じました』 気がつくと、このスレッドが立っていた♪ (川端康成ノーベル文学賞受賞祝福〜綺麗な文章だ) 昔のプロフィールは、ハナ肇と同い年1,930年3月生まれですが 宮崎駿の暴言は、そのまま宮崎アニメの本質を表している気がする。 これは、コミック・ボックスの手塚治虫追悼号に宮崎氏が寄せた文章の一部ですが、この文章と自分の手塚体験を重ね合わせると、なるほどというか、痛いとこ突いてくるな、という部分があるのは事実だ。 バカボン親子は文字通りバカは風邪をひかないが 作品の売り込み方や、作品がボツになったときの心構えまで、 あだまクラクラしたってが? IKAりや長介さん、あなたは確信犯 近現代的な科学主義と神話的なものとが相性悪いのも、神話にある非合理的なもの(=「世界のわかりにくさ」という意味での普遍性)を科学が嫌うからです。 弱いai. ところでこの映画生活のサイト、昨日ちょっと出先で携帯で見ようとしたら、このフリートークへのリンクが表示されなくて・・・ガラケーだから?? 子どもは大人のウソをすぐ見破りますから、ごまかしが効かない。 <リンクURL> 「こどもたちのために」作品を作るのは、大人のためというか、「こどもたち」と限定しないで作る場合の、おそらく何倍ものエネルギーがいる。それは、ひとえに「構造をきちんと通す」ということが必須になるからだと思います。……なので、『勝ち逃げ』……というふうには、私には映りませんでした。もうムリ、もうヤメ……という、非常に個人的な「燃え尽き感覚」というのか……昔から自分を、そういうふうに訓練してきた人なんだなあと感じた。一作一作に「入魂」ということですかね。うーん、ご冥福を……(まだ死んでないって!), くまのマーくん君と皆さん、おはようございます。 つまり、「真剣勝負」の階層が、手塚さんは「物語層」であり、宮崎さんは「普遍層」であっただけで、どちらもホントに「真剣勝負」をされていたと私は思います。まあ、要するに、「こどもたちの人気を失えばそれで終わり」のキビシイ世界ですから、「手を抜く」ということは絶対にあり得ない。お二人とも、自社の社員だけじゃなくて、多くの「関係各位」をお持ちだから、いっぺんコケたらそれがなにを意味するかは骨の髄までご存知……そういうところで「真剣勝負」をやらないということはあり得ないと思うんですね。……ただ、ではなぜ、「真剣勝負」の舞台が、手塚さんは「物語層」であり、宮崎さんは「普遍層」になったのか……ということになると、これはいろいろ難しい問題を孕んでいるんじゃないかと感じます。まあ、とりあえず考えられるのは、やっぱり前から書いてるお二人の年齢差なのかなと…… 宮崎さんの場合は、文明とか文化というものに対する見方が、「善悪」の基準をこえているんですね・・・それが宮崎さんの作品にも人格にもある「わかりにくさ」の一因でもあるし、「なんかうさんくさい」という印象を与えてしまうこともある原因なのだと思います。 それは『宮崎さんの絵』です。 宮崎さんの中には、マンガと児童文学の二つの要素があるようです。 ぽあ:こういうジョークは口から出んと思うけどなぁ… 私が、宮崎さんが「児童文学の人」だと思うのは、やっぱり「普遍性」のレベルで勉強を重ねて、「充足理由」をきちんと固めて作品化するというスタイルをとっておられるからで、ここらへんはどうしても宮沢賢治の姿勢と重なってくるように思います。「物語の魔」をよく統御して、けっして主導権を渡さず、全体の統御は、さらに上の階層である「普遍性」にまかせる……で、その「普遍性」を導き降ろすための「勉強」はきっちりやる……賢治の場合も、最後まで「現場の農業」という現実との接点を失いませんでしたが、こういうスタイルをきちんと貫き通せる作家は、やっぱり少ないと思います。作家、編集、読者……そういう「ムラ社会」で成立する「物語」は山のようにあるけれど、きちんと自分が今いる世界を引き受けて、やっぱり「未来」を生きなければならないこどもたちに、自分が受け取れただけの「普遍性」を手渡そうとする……そういう制作態度といいますか、まあ、一種の世界観みたいなものかもしれませんが、そんな方向でやろうとしている人が、今、どれくらいおられるのでしょうか……そんなことを考えてしまいます。, みなさま、こんにちは。 ↓ 三船さんの件は・・・まあ酒に酔ったら「平等」ですから・・・w 『トトロ』以降の『わかりにくさ』の原因はここにあると思います。 自然というと、バタイユが、動物(つまり「自然」)というのは、「世界の内に水の中に水があるように存在している」と言っていましたが、人間はそういうふうには存在できないんですよね。 宮崎さんの数々の『暴言』と言われるものには、 『児童マンガ』という呼び名はどうでも良いのですが、 たしかに、ソースの確定をしっかりするということを決めておけば、そういう「2ちゃんねる的」な滑稽なことにはならずに済むのですが、不思議なことにこの映画生活というサイトは、そういう「ルール」がなくても、けっこう「2ちゃんねる化」を免れてますよね。やっぱり真面目な利用者の方々が、2ちゃんねる的な発言をしっかりけなす、ということをされているからだと思います。 バートン作品は大好きで、以前マーくんさんにもお話したことがあったものですから。 海外の事情は、詳しくわからないので。 ありりんさんの書き込みについては、以上です。長々とすみません・・・ 莫迦も休みやっすみ、休み休み 宮崎さんは、生まれたときから『出来る人』だった。 現代人の多くが自然に対して、この『上から目線』で生きてきた。 この『制約』の中で、どれだけ質を高めることができるか、なのです。 そして第二部の256ページに、宮崎駿さんの『お言葉』が… 同じ高みへ向かったかというと… まぁ、わからないんですけど、 空では、絶えずショーとしての戦争が繰り返されていた。戦闘の規模は大小さまざまだが、人々は天気の話をするかのように、ショーとしての戦争を、テレビなどの画面を通して日常として受け取っていた。 そんなショーである戦争を構成する兵士のひとり、パイロットである函南優一は飛行機に乗っていた。新たな赴任地へ向かうために。場所の名前は関係ない。仕事はこれまでもそうしてきたように … 3回ぐらいに分けて連載するとアクセス増えますよ♪ 閑話休題。 でも、「民の声」が「天の声」にはならない、というのは厳然たる現実で・・・要するにこれは、「民」に力がないからですよね。なぜ自分たちに力がないのか、ということはもっと反省すべきことだと思うのですが。 まぁ、斜め読みなので見落しているのかもしれませんが、 「第一部 悪ガキたちの昭和史」 『宮崎アニメ』が子どもに支持される理由はそこにあると。 IKAさんご無沙汰しております。 IKAさん、ソースの確定問題は、なかなかややこしいですよね・・・もし、このスレッドが「2ちゃんねる化」することを避ける、とハッキリしておくことにするなら、不確定なソースは持ってこないということを「ルール」として決めるのが一番有効ですが、そもそものスレ主さんの問題提起が、はじめから不確定ソースによる「暴言」の数々をもとにしていることを考えますと・・・ああ、ますますややこしい・・・ これは、TV『鉄腕アトム』を制作中の手塚治虫の発言らしい。 > 『これまで手塚さんが喋ったこと、主張したこと、みんな間違いです』 えんぎでもない……ということなんですが、『風立ちぬ』を見ていると、やっぱりそのことを強く感じました。今までの作品を見てみても、彼はやっぱり、その作品の成立時点よりちょっと先を見てつくっている。『風立ちぬ』も、企画そのものは3.11の前で、3.11のときにはあらかたのお話はできていたみたいですし……直後にあの震災で、ご本人もびっくりしたとTVでおっしゃってましたが……今、劇場で見ているこどもと、これから先、DVDで見ることになるこどもたち……そのことを考えると、今、いくら脱線しているように見えても、「物語性」がバラバラに解体されているように見えても、「そのとき」にはいろんな要素が触手を伸ばして、脳のシナプスがつながっていくみたいに「全体連結」ができていく……そういう意味では、完全パッケージなんですが、時代とともに成長する……なんか、そんなことを考えて作っておられるような気がしてなりません……。 ぽあ:わてがコオロギなら抗議(こおろぎ)するで〜! 田舎(人間界)から魔界へ出て来て住み込みで働いており、ミルクと同期で部屋も相部屋。マヤの料理を手伝うこともあったが、マヤとしっぽが邪魔しあって手伝いにならなかった。お金に対して強い執着心を持ち、接客の他にも色々雑務をこなして小銭を稼いでいる。レジ横に自分の 貯 … という意味のことを発言している人ではないのか? 5)思わずキュンとするジブリ少年 → 天沢聖司(耳をすませば) 悪いごとしたなと、ずぶん反省してるでガス。 やっぱり理屈を考えるのは苦手である。, kotorinさん、こんにちは。「普遍性」……うーん、私は、手塚さんが、普遍性が「まったくない」とは思わないのです。それどころか、初期作品においては、同時代の他のまんが家と比べると、格段に普遍性をお持ちだと、昔は思っていました。たとえば、以前にも例に出した『ジャングル大帝』では、ウェゲナーの「大陸移動説」が下敷きになっていて、アフリカの大地溝帯において、「大陸を割る」力のあるムーンライトストーンという神秘の石が全編に響く通奏低音となってます。で、このマンガが最初に世に出たのが、なんと1950年。終戦からわずかに5年のこと。ところが、この時代、ウェゲナーの「大陸移動説」はかなり評判が悪かったというか、あんまりまともな学説とはみなされていなかったみたいなんですね。 今でも、下積みの苦労に耐えながら、 でも世界というのは、本質的に「わかりにくい」ものです。 じゃあ、宮崎さんはどうかというと、彼は、自分では『画工』といっておられるようですが、本質的には児童文学の人だと私は思います(このことは、私自身の『風立ちぬ』のレビューでもちょっと書きました)。要するに、あくまでこどものために作品をつくる人。これに対して、手塚さんの方は、なぜか「児童文学の人」というイメージがない。手塚さんのマンガは主として少年誌に連載されてきたこともあって(少女誌にもたくさん書いているけれど)、こども向けというイメージが強いのですが…… これは、子ども向けの映画を創るときにも言えることです。 ‘努力しています’なんてパフォーマンス無用。 ちなみに、やなせたかしさんなんか、どうなるんだろう? 『わかりやすい物語』は卒業してしまったから、 まるで露西亜のミサイルみたく話がアチコチ無節操に飛びマクリ 『結局あの、本当に思うけど、趣味持ってる奴は駄目ですね。 「カムイ外伝」の作者、白土三平氏の「サスケ」もそう。両作の根底には共通するものがありますが、「サスケ」は子供向けでとてもわかりやすい。 と思って腹が立った(勝ち逃げってねぇ… どんな根拠があるのよ?) いずれにせよ、同じ出身校(旧制中学)の石橋エータロー(1,927年9月)と犬塚弘(1,929年3月)より最年長なのに、プロフィール上は」最年少だった! ファンタジーとして純粋に楽しむのもいいでごんす♪ 手塚:いや〜 はっはっはっ♪ なんて、長々と書いておりますが・・・そもそも私はジブリファンでも宮崎ファンでもありませんで。むしろ偏見から宮崎作品は見ていなかったクチなんですが。ここ数年で見たのも、おそらく全作品の半分くらいで、「大人のわかりかた」しかできていませんし、作品を見てファンになったかといえば、うーん、そこまでじゃない・・・ なんの×2、石原慎太郎や渡辺恒雄と徳光和夫と宍戸錠…或いは淀川長治先生&双葉十三郎先生とか品田雄吉+α(アホダラ評論家、全世界のマスゴミ)に比べれば可愛いもんです。 と書いて、投稿しようとしたら夢寝さんがっ! マンガ家の方が間口が広いというか、ゆるいというか♪ 『反児童文学』ではなく、これは立派に子どもの本ですよ。 一方、宮崎さんは、『風立ちぬ』(未見です)制作について だから、この人の作品は『少し突き放して』観るのが丁度いい。 宮崎さんはストーリーにこだわり、手塚さんは絵にこだわった。もちろん、宮崎さんも絵は上手い。手塚さんもストーリーテラーとして一級。ただ、最初のとっかかりが違うような気がします。 ぽあ:それ、あんさんの中学時代の実話やん! 日本では、童話作家が書いたこの手の本はありますが、 ちいさなloveをはこぶストーリー。lovotに詰まっているのは、人の愛するちからを引き出すためのさまざまな機能。あなたのもとにlovotがやってきた瞬間から、ちいさなloveにみたされる日常がはじまりま … ただ、そういうゴーサインを出すと、 >『あっ! このオッサン、勝ち逃げする気だ!』 『出来ない人』には、宮崎さんの目線は辛いのではないか? それは、「わかりやすさ」を求める人ほど、理屈っぽいということです。 『宮崎駿 暴言』で検索すると、驚くほどヒットする。 まあ、やなせさんにも「暴言」はあるみたいなんですが、宮崎・手塚のお二人に比べれば少ない? 典拠なし、ということで了解しました。まあ、私は以前に、三島氏の小説とか彼に対する評伝、評論とかいろいろ読んだ時期があって、私のアタマの中では、彼は戦時中にうらなり文学青年で徴兵忌避……みたいなイメージができていたので、えっ!?と思ってちょっと確かめたくなっただけです。ご了承ください。ちなみに、戦時中の彼の「ナサケナイ」様子はウィキとかにも書いてありますので、よかったらご参照の程。まあ、ウィキの記載がどこまで信用できるかどうかという問題もありますが(それもあって、典拠をおたずねした次第です)。

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